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星の鼓動を継ぐ者/Z?
 やっぱり、この映画版「Zガンダム?」をTVシリーズにしたものを、20年前に見たかった・・・。
 この映画を観て、ようやく当時「Zガンダム」で何を語りたかったのかがわかった気がしました。いや、より正確に言うなら、何を語ろうとして語れなかったかが、わかった気がしたのです。
 その「何か」とは、ファーストガンダムを純粋に一歩進め、もう一段の高みを目指そうという意図であり、それが上手く語れず迷路に迷い込んでしまった原因は、そうした意図を抱いた「作家」としての野心だったのだと理解できました。

 当時おそらく、ガンダムという物語と物語世界の力を信じ、もう一歩進化させることがでるかもしれないという野心は間違いなく存在したのだと思います。状況認知といわれた、ガンダム人気へのアンチテーゼを煙幕に使いながら、目指したのはさらなる高み。ニュータイプという原石を磨き珠玉の宝石とすることはできるのか? そしてアニメ作品のクオリティとしても、舞台劇もかくやの複雑な心理描写や、大河小説ばりの二重三重のストーリーテリングへの挑戦が試みられたのだと思います。そんな野心こそが、当時の「Zガンダム」をあそこまで追い詰めてしまったのでしょう。
 この映画三部作で、すっきりと語られた作品としての一貫性を観るにつけ、その逆説、映画で肚にすとんと落ちた処の陰画(ネガ)部分こそ、当時の「Zガンダム」では理解できなかった、なぜこんな回り道をするのかという部分、もっと言えば納得できなかった物語としてのクオリティの低さの理由であったと思い到れたわけです。

 例えば、映画では突き抜けた感のある、最後のゼータの強さの秘密の謎解き。サイコフレームに繋がるとされた展開はサーガの一部としては良いのかもしれませんが、当時そうと描けなかった理由は、ニュータイプという概念を更に高めようと意図していたのにもかかわらず、結局、ニュータイプを単なる超能力としてしか描けなかった状況に追い込まれた焦りにあったのだと思います。映画版では、そうさ超能力の一種さ! と割り切ったがゆえに、物語としての一貫性が増し、却って清清しささえ感じられたのですから。

 また、物語の面でも指摘できると思います。ファーストで描いた見事な作品世界。そこで造り上げたはずの「世界」の広がりを旧「Z」はさらに広げようと意気込んでいたことででしょう。ファーストを超えようと、ドラマとしての奥行きを示す三つ巴、四つ巴のストーリーを練ってみたものの、TVアニメシリーズという枠組みの限界と演出の表現力不足によって破綻してしまいました。コンパクトに整理してみたはずの映画でさえ、物語は悲鳴を上げていました。分かり辛い、と。そこまで来ると、新たな問いが生まれます。「この複雑なストーリーの何が必要だったのか」と。それは、リアリティのためだったのか、テーマのためだったのか、主人公の精神の成長のためだったのか・・・。
 ファーストでは、その三つ全てにイエスと答えられました。一方旧「Z」では、まず三番目の最も説得力がありそうな「主人公の成長のため」の途は、作品自らがその結末を以って絶ってしまっていました。けれど、今回の映画版では、その結末の大転換を以って「主人公の心の成長」があったと語っているではありませんか! それならば、物語の複雑さ猥雑さの理由も「主人公の成長」というベクトルで収斂させることが可能となります。
 そう、本来「Z」の物語が描くべきは、少年の少年としての心の成長だったのではなかったのでしょうか。アムロは、いきなりニュータイプとして覚醒しオトナとなりました。しかしそれは本当に人間としての成長だったのでしょうか? 少年の少年らしい心の成長は、ニュータイプとしての覚醒と矛盾しないはずです。だがそれはまだファーストでは語られていません。まさに、ニュータイプが所与となった「Z」の世界でこそ描かれるべきテーマだったような気がします。ならばこそ・・・。

 ・・・それでも地球は回る。それでも、やっぱりそこにファがいる。そして、彼女はだきしめられる。理念だけでなく実体験こそが、真の覚醒に繋がる。そう、二人は回る。それは、二人の周りで世界が回ること・・・。

 ニュータイプを超えた人の覚醒のビジョン。その構想は旧「Z」の中にもきっと潜んでいたに違いありません。それを発芽させるために、人々の想いの深さを描こうとして、一年、苦しんで来られたのでしょう。今、映画を観て改めてその苦闘を理解しました。方法として、同時代を生きたファーストのキャラを使えば、それは随分と楽であったのでしょうが、作家としてのプライドが邪魔をしたのかもしれません。映画版で、思い切りよくファーストキャラをメインに据えた展開を見せてくれると、キャラ自身から充分な「深み」が醸されながら、物語の「通り」が格段にすっきりしてしまうのですから。
 旧「Z」ではそれを自ら禁じ手としたために、新たなキャラたち、まだ白紙の「無垢」なキャラたちに裏切りのまねごとをさせてみせ、葛藤を描き「深み」をみせようとしてみたたものの、結局、皮相的なメロドラマに終始するか、感情移入できない理解不能な行動となってしまい、喪失感だけが漂ってしまったわけです。
 映画では、こうした新キャラ達の裏切りの万華鏡が、ラストのカミーユ対シロッコのバックで起こるイデもどき応援合戦を経て、結局何の意味もなかったことが明白となってしまっています。どんな裏切りを重ねて見せても、死んでしまうと元のイイ人にもどるわけですから・・・。
 そうすると、ここで改めてギモンが生まれます。「Z」とは、何のための、何を語るための物語だったのか?

 映画版はその勢いの中で、輻輳する物語による主人公の成長、すなわちラストのカミーユの大転向を見せ、生き残ったものだけが悲劇も喜劇も「肥やし」にできるのが人の世なんだという、もう一つの真理に到ります。生きている者は強い。それをニュータイプへのアンチテーゼと考えるなら、映画版は、ファーストを超えるという当時の所期の目的は達したのかもしれません。

 テレビ版と映画版の対比を観て改めて感じることは、アニメはその蓄積によって人の「想い」の深さを描くことは充分可能となったが、人間の「複雑さ」を描くにはまだまだ熟成が必要だということです。
 ファーストが成功したのは、ニュータイプが純粋に「シンプル」ということを追求した存在であり、「深み」を描く物語であったからであり、旧「Z」が失敗したのは、人間の複雑さを描こうとしたからと総括できるかもしれません。
 20年前、「やっぱりニュータイプって言ったって所詮生身の人間なのよね・・・。」と「イデオン」を経ていたカントクが割り切っていてくれれば、さらなるガンダム伝説が打ち立てられていたかもしれませんね。

author:南田操, category:映画/本/漫画語り, 00:02
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久々に「炎の言霊」!
今出ているサンデーGX3月号の「新吼えろペン」(島本和彦)には、久々に”撃たれ”てしまいました。

マンガにかける魂の量は誰にも負けない、どこにでもいる平均的な漫画家、炎尾燃(ホノオ・モユル)。彼がお気に入りのミュージシャン「ジュラ・C」からは、最近、新譜がなかなか出ない。たまたまタクシーで聴いたその「ジュラ・C」のラジオ番組で、炎尾の代表作『反面ボクサー』が彼に影響を与えていたことを知った炎尾。しかし同じ番組で「最近の炎尾作品はパッとしない…」なんていわれてしまい、炎尾も「最近パッとしないんだよね」とへこみ気味。そして、なんとその番組からゲスト出演の依頼を受けた炎尾は、一言言わねばなるまいと朝鮮を受ける。最初こそオトナの会話をしていたものの、ついに本心をぶつけ「ジュラ・C」に炎の言霊をぶつけるのであった!

なかなか思い通りの作品ができず、新作が出せないと愚痴るジュラ・Cに、
「新作を待っているファンの身にもなってみろ!」
駄作を作る勇気を持て!」
駄作で金を貰ってこそプロ
駄作を出し続けてしまったらどうするのかの問いに、
自分を許す大きさを持て!」

み、見事だっ・・・・!!

南田の心を撃った久々の「炎の言霊」でした。
・・・・フッ、新作書かないと・・・。
author:南田操, category:映画/本/漫画語り, 01:06
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いい仕事でした! ドール・マスター
ようやく井原裕士「ドール・マスター」(電撃コミックス)読みました。桃原さんサンクスでした。

「超常機動サイレーン」でファンになったとcuetypeに書いて「ドール・マスター」や「雪乃すくらんぶる」を薦めていただいたのが去年の八月。あっというまにここまで時間が経ってしまうところが、歳をとった恐ろしさかなと自戒一頻り。

今回は、全巻を桃原さんに貸してもらったのですが、その受け渡し場所池袋の「鳥良」を出たあたりから、どうも調子が良くない。
 〜〜「鳥良」は、数年前に結構名古屋出張をしていた頃仕入れた名古屋名物「手羽先」を、東京でも近い水準で食べさせてくれるチェーン店です。ちなみに定期的に愛用しているその店が入っているビルは、かつて我々がIVA.だったころから愛用していた大型喫茶「南水」の跡地だった、といういわく付き?のお店であります。〜〜
そのときは飲みすぎたかなと思いながら、別れた後から本格的に具合が悪くなってしまいました。結局翌日は38度の熱を出してダウン。おなかに来た風邪でした。結構苦しんで、週末、ようやく回復。ちょうどいい病み上がりの無聊の慰めになったという次第。

結論的には、「サイレーン」よりさらに「ドール・マスター」にハマッてしまいました。主人公の女子大生のフィギア作りを舞台にして、即売会デビューや、恋の鞘当てといったタッチを見事にまとめつつ、「師匠」である久具津には、一子相伝の「人形遣い」という伝奇趣向を添えた作品作りは見事であいた。どうも、最近の僕の「ツボ」は、大学サークル、即売会、同人誌、といったところのようです。それに、メインストーリーと並行していくつか走らせるサイドストーリーとのミスマッチを楽しむ井原作品の持ち味のみならず、絵柄的にも、「雪乃」ほどシャープでも無く、「サイレーン」ほど崩してもいないあたりも程よい「仕事」に思えます。

「ドール・マスター」の良い「仕事」を、一つ挙げるなら、「傀儡(くぐつ)遣い」「式神」とか「一子相伝」といった傾向の話を設定していながら、それはあくまでも脇役に位置づけることで作品としてのリアリティ=世界観をバランス良く成立させているところでしょう。このバランスの匙加減は3作品のなかでもずば抜けていると思います。また、主人公まわりのみならず、脇役たちのキャラ立ち具合も最も高いレベルと思いました。作品全体として主人公の成長がきちんと描かれる等、まさに「いい仕事」してますね! という作品でした。

最近、いいマンガはないかと、いろいろコミックスも衝動買いしてみましたが、やはりそう簡単には出会えません。皆さま、お薦めあれば、また是非教えてくださいませ!
author:南田操, category:映画/本/漫画語り, 23:03
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ハイドゥナンよかったです
原稿用紙二千枚という大作なので、年末年始にとっておきましたが、なかなかの傑作。充分楽しめました。連想したのは「ハイペリオン」ですが、方向感としては、実に日本的な精神性と、最近の科学技術の進歩が生んだ「すぐそこにあるSF世界」感覚の融合という日本SFならではの魅力ある作品だと思います。ただ、読んでいる過程での印象としては、この半分の長さでまとめたら、「名作」だったろうな、というものでした。

八百万の神々の正体はなかなか楽しめますよ。
最先端科学者達が自称マッドサイエンティストというのも非常に現代的でよかったです。
全編を通しては結構イイ、ラブロマンスです。


藤崎慎吾 早川書房 です。
author:南田操, category:映画/本/漫画語り, 12:20
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恋人だらけ/Z−?
「恋人たち」ようやく観ました。池袋は年末までロングランしそうでしたが、年末のあわただしさが本格化する前になんとかチェック。
今回の感想を(評論ではない)を一言。
「この映画にまとめられる前の<新訳>TV版を観たい!」
いい感じに熟成され、オトナのガンダムになっていることでしょう。
恋人だらけの艦隊もの、ホントにみてみたい。
なにか「げんしけん」に通じるものを感じてしまいそう。

今回の出色は、エマさん。どうしちゃったのというくらい、二皮くらい剥けたキャラ造形。カントクもご隠居ノリになったのかも・・・。
とってもいーです! 経絡秘孔を衝かれた気分です。
でもその分、フォウがかわいそう。
北爪ワールドがゼータの「徒花」だったという観点からは、妙に納得しないでもない。でも別人だよね・・・。フォウツーか!?

今回、「男たちのYAMATO」が視界に入っているせいか、アーガマとかのバックシャンが結構気に入ってしまいました。特にラスト。おお、宇宙戦艦が行く・・・と。
別の部分では、新作部分での敵味方を問わず宇宙船の艦内背景がバランス悪くボロく描きすぎなのが気になってしまいました。あれをやるなら、衣装とかも含めてリアリティに挑戦してほしかった。小奇麗なキャラとの対比でかえってリアリティが逓減していきました。

でもZのころのモビルアーマーってやっぱりちょっとね・・・。
リメイクTV版のときはよろしくお願いします。




author:南田操, category:映画/本/漫画語り, 22:53
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